「損得ばかりを常に考える人」がいつのまにか見失っている「大事な視点」

本当の「幸せ」と「損得」の定義とは、三千年の時を経て読み継がれる中国の古典『易経(えききょう)』。
人が悩んだり迷ったり、決断を迫られる場面で示唆に富んだ教えを示してくれることから、経営者や研究者、医師、スポーツ選手など、いまも多くのリーダーが愛読していることでも知られています。
その叡智をわかりやすく解きほぐした易経家研究家の小椋浩一氏の新刊『人を導く最強の教え『易経』――「人生の問題」が解決する64の法則』から、人生を豊かにするためのコツをご紹介したいと思います。

幸せの定義とは

そもそも「幸せ」とは何なのでしょうか? 
それは「自分の生き方に対して自分自身が納得できること」、つまり「自分の人生を自分自身で決められること」そのものです。

  その定義からすれば、社内で昇進すること、成功者だと賞賛されること、金持ちになってちやほやされること、これらはすべて「幸せ」には当てはまりません。それらはすべて、「他者が決めること」だからです。

すべてをなげうち、人間関係や健康を壊してまで夢を達成した人の、「自分の幸せはこれではなかった……」という悲しい末路は、決して少なくないからです。

幸せになるには、まずその最終評価を他者に委ねないことが必要なのです。そのためには、自問自答することを習慣にしましょう。それに使えるのが、まさに『易経』です。

『易経』の準備した問いに対して自問自答する習慣をつければ、これから起こることに対してあらかじめ準備ができます。そうすれば、紀元前以来の先人たちと同じ失敗を繰り返すことがなくなるとともに、先人たちが獲得した成功パターンも再現できるようになります。

歴史上でも、『易経』に学んだ先人たちが周りの人々を幸せに導き、それを通じて幸せな人生をまっとうしました。『易経』は名言やたとえ話が豊富なので、指導者として「幸せとは?」といった抽象的な考えも人に伝えやすくなります。

ここでは、その教えの中から、人生に役立つ心得を1つお教えしましょう。

山沢損(さんたくそん)

損して得取る時。
自分の得た分を減らしてでも、他人の分を増やすことを考えよ、の意。
翻って「今の損を未来の得につなげるなど、長期的視点を持つこと」
これは「損」の徳について語ったものです。ここから西郷隆盛の有名なセリフを思い出します。

「命もいらぬ、名もいらぬ、官位や肩書きも金もいらぬ、という人は扱いづらい。だがこのような扱いづらい人物でなければ、困難をともにし、国家の命運をかける大事を一緒に成し遂げることはできない。でもそういった人物は、なかなかお目にかかれない。真に道理を行う、正しく生きるという覚悟が必要だからだ。」(『西郷南洲遺訓』より)

「世のため人のため、命も名も捨て、金も欲しがらず」という生き方は素晴らしいです。
が、その実行には勇気がいります。自分が損するのではないか……と心配になるからです。

損とはどんなことを指すのか

改めて「損」とは何でしょう?  
お金に置きかえれば分かりやすいでしょうか。

お札は紙とインクでしかありません。そんなものを皆が欲しがるのは、経済活動を通じてほかのものと交換できるからです。
つまり、お金の価値とは「交換価値」です。より大きなお金があればより大きな価値のあるものと交換できる。だから、より多くのお金を皆が欲しがる。ここにこそ、「お金を欲しがること」の根本的な問題があるのではないでしょうか。

実際に欲しいものがあれば、そのもの自体を欲しがればいいはずです。でも、どんなものよりお金が欲しいとなると、まったく意味が違ってきます。欲しいものがないのに欲しがる、つまり「欲そのもの」が動機になってしまいます。

ましてや、いくら欲しいという限界を持たず、他人と比較してお金の損得に一喜一憂する、というのでは本当にキリがありません。

「幸福」を研究する米カリフォルニア大学のソニア・リュボミアスキー心理学教授によると、実際に世界中で行われた幸福度調査の多くが、「年収600万~800万円程度が幸福度のピーク」であることを示しているそうです(『幸せがずっと続く12の行動習慣』日本実業出版社)。

つまり、ある程度の年収があれば、人間は十分に幸福になれる。逆にそれ以上のお金があると、さらに欲をかき、幸福ではなくなるのです。

損得は生きる手段であり、人生の目的ではない。損得に費やす人生こそ、大損である。だから損得だけではない人生を求めなければならない。ここに生き方のカギがありそうです。

財を増やすだけではない人生を真剣に考える

では、財産や損得を超えた人生の幸福とは何でしょう? 

せっかくこの世に生を受けたからには、恥ずかしくない立派な生き方をしたいですよね。でも立派な行いはそれが立派であればあるほど、逆に「売名行為」など嫉妬や批判にもさらされやすくなります。

「士は己を知る者のために死す」(司馬遷『史記・刺客伝』)

人生の終わりまでには、自分の生き様を認めてくれる人に出会いたいものです。そしてできればその人の役に立ち、幸福にし、そのような自分の働きに満足して死にたいものです。それが本項の冒頭で西郷さんが語った慨嘆であり、その真理を『易経』はこう説きます。

「利は義の和なり」

正しいことを積み上げていけば、きっと良い結果がもたらされる。自分の得た分を減らして他人の分を増やしていけば、いつか巡り巡って自分にも還ってくる。われわれが日々できる最善のことは「ほかの人の益のために自分が損をすること」だと教えるのです。

あなたにとって損得を超えて大切にしたいことは何ですか? 

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