受験勉強一筋で生きてきた子は「一つの正しい答え」にたどり着く力は強いが、「答えのない問題」に直面した時、どう考え、解決していけば良いのかわからなくなり 思考停止してしまう人が多いように思います。
私は23歳から61歳迄、一般社会人として公務員、民間企業で主に人を教育する職に携わって来ました。その中で空手道の稽古との両立を図って来ました。
優秀な高校生、大学生にはいくつもの行動の一致が見られるのです。
たとえば大きな特徴の一つとして「何事にも本気で打ち込み、手を抜かない」ことが挙げられます。自分のための努力を惜しまず、勉強も、部活も、恋愛も、100%の力で打ち込むのです。
いつでも100%を出し切るからこそ、自分の選択に後悔することなく、また失敗や成功、すべての行動から学びを得て、成長し続けていくという好循環ができていきます。
それゆえ、少々の挫折には折れない心の強さ、物事を最後までやり遂げる意志の強さ、何事もコツコツ続けるという積み重ね、より大きな目標に挑戦するチャレンジ精神などが身についてゆくのです。
でもどうしたら「何事にも本気で打ち込む子」を育てることができるのでしょうか?
生まれつきの性格でしょうか? それとも受験勉強を一生懸命やればがんばる子に育つのでしょうか? あるいはスポーツや音楽などの課外活動に参加されば良いのでしょうか?
受験や就職を目的にすると、なぜいけないのか?
これまで「有名校への進学」や「一流企業への就職」をゴールに育てられてきた子どもたちを多く見てきました。
子どもが自分の意志で進学先や就職先を選択するなら何の問題もありませんが、親の希望やプレッシャーで、あるいはクラスのみんなが受験するから、、、、。
と選択を他人にゆだねてしまった場合は、その後に大きなトラブルが起きることが多々あります。
たとえば、いざ志望校に合格した途端に燃え尽き症候群になってやる気がなくなってしまったり、進学後に激化する競争についていけず心が折れる。
また、大学を卒業して大手企業に就職するも、キャリアの早い段階で挫折し、立ち直れなくなってしまった、、、などが典型的な事例です。
受験勉強一筋で生きてきた子は「一つの正しい答え」にたどり着く力は強いのですが、「答えのない問題」に直面した時、どう考え、解決していけば良いのかわからなくなり思考停止してしまうのです。答えのない問題を解くためには、普段から自分で考え、決断し、行動する経験の積み重ねが必要なのです。
さらに受験勉強一筋の子は、勉強以外の多様な経験と、その経験に裏打ちされた自信の少なさによって「自分が何者であるか」「どう生きたいのか」ということへ真剣に向き合うことができません。
その結果、「言われたことはできるが、自分の意志で選択することができない」、社会に出ても「自分が何をしたいのかわからない」といったことが起きやすくなってしまうのです。
「何事にも本気で打ち込む子」に共通するのは、自分の頭で考え、自分で決断し、自分の意志で行動していることです。
自分で導き出した「答え」が正しいことを証明したいから、うまくいかないことがあっても、あきらめずに努力を継続していけるのです。
どうしたら自分で考え、行動する子に育つのか?
では、子どもが自分で考え、決断し、行動する習慣を身につけるにはどうすればよいのでしょうか?
この習慣を身に着けている子どもの「親に」共通しているのが、「子どもの自主性を尊重すること」です。
自主性を尊重するとはどういうことかというと、「あれをしなさい」「これをしなさい」といった命令や指示をしないこと。
子ども自身の選択を大切にし、親が具体的な行動を強要することがないのです。もちろん、「勉強しなさい」「宿題しなさい」とも言いません。
一方で、子どもの好きなこと、興味のあること、やりたいことには惜しみない協力をし、学びの場を積極的に用意しているのです。
私は日本では一流と言われる大学へ合格し、最も難関と言われる国家試験に2年間、諦めることなく挑戦し見事に合格、そして精力的に仕事に打ち込んでいる若者を多く知っています。
そんな彼らの多くが自分の親のことを次のように話しています。
「両親は私が何をするにも私の意志を尊重してくれました。私が『何をすべきなのか』を示してくれましたが、『どうすべきなのか』は私に任されていました。
たとえば家族のルールとして『スポーツをすること』がありましたが、どのスポーツをするのかは私が選ぶことができました。
私の選択について両親が反対したり、うまくいかなかった時に叱ることはなかったです。
おかげで私はあるがままの自分に自信を持つことができました。
また両親は『学問はどんな道を目指す上でも絶対に必要なものである』と、勉強の大切さについて教えてくれましたが、『勉強しなさい』と私に言ったことはありませんでした。
勉強をいつ、どこで、どれだけやるかは全て私に任されていました。でも放任していたわけではなく、勉強でわからないことがあればいつも両親が助けてくれました」
このケースのように、何ごとにも打ち込む子が育つ家庭では、親が子どもに「大枠の方針」や「人生の哲学」を伝えはしますが、「では具体的にどうするか」は子ども自身に選ばせます。
そして、子どもがつまずいた時や大変な時には手を差し伸べ、寄り添い、一緒に解決していくのです。
自主性を尊重することと、好き放題させることの違い。
では、自主性を尊重するために「何でも子どもの言うとおりにすればいい」「放任すればいい」のかといえば、そうではありません。
たとえばゲームが好きだから何時間でもゲームをさせていいかといえば、そうではないのです。
子育て上手な親は、子どものそうした興味を「強み」に発展させて、よりレベルの高いものに変換していきます。
ゲームを何時間でもできるならば、その「集中力」や「手先の器用さ」にフォーカスして、より集中力を高めるための習い事をすすめる。
たとえば、プログラミングを学ばせて「ゲームで遊ぶ」から「ゲームを作る」という体験をさせる、といった具合です。
しかしその際も、親が「これをしなさい」と強制しません。子どもが自分の意志でその道を選択していると思えるように親が「仕掛け」をつくるのです。
「この子はプログラミングに向いているかもしれない」そう親が判断したならば、まず子どもの「強み」を言葉で伝えてあげます。
「すごい集中力だね」「手先が器用なのは才能よ」という要領です。
そして、いきなりプログラミング教室に放り込むのではなく、家庭で技能を周囲よりも少しだけ高めてあげるのです。
パソコンであればタイピングや基本ソフトの使い方を教えてあげた上で「プログラミング習ってみる?」と子どもに促します。
すると子どもは「やってみる」と自分の意志でプログラミングに向き合うようになるのです。
子どもの「強み」を言葉で伝えて、その部分が伸びるように親がサポートをして、最終的に子ども自身が選ぶことによって、子どもの自主性が育っていくものです。
子ども自身が選択したことが(親のサポートもあって)うまくいく。この成功体験の積み重ねが「何事にも本気で打ち込む子」に育てるコツだと思います。