実戦空手道 修真会館

実戦空手道と修真会館

私は、四十二、三歳頃までは身体能力の高さ、主にパワー、スピード、持久力を最も重視していた。
「力は、力でねじ伏せる」「スピードはスピードでねじ伏せる」 正に「剛」の空手スタイルであった。
身長174㎝・体重84㎏でベンチプレス155㎏を挙げ、フルスクワットで230㎏を挙げるパワーと20分間のフルスパーリングを持続する持久力を持っていた。

高いレベルでパワー・スピード・持久力を合わせ持つことは、空手選手にとって「技の一つ」と考えている。
事実、どんなスポーツのアスリートでも高い身体能力を持っているし、科学的根拠がそれを裏付けている。

しかし、パワー・スピード・持久力という身体能力は、年齢と共に必ず限界を迎える。 更には、どんなに科学的なトレーニングを継続したとしても身体への歪・障害が生じて来る。
私は、50歳の頃、仕事の多忙さと職責のプレシャーから過労で入院したことがある。
救命医から「運が良かったですね!」過労で命を失う人もいらっしゃいますから、、、ほどほどに仕事をしないといけませんよ、、、。と言われたものだ。
そして、この入院生活を機に私は空手や仕事に取り組む「考え方」を全くというほど変えた。それは、主治医の先生のアドバイスが論理的・科学的に説得力のあるものであったからだ。
そもそも、その主治医の先生は合気道の師範をされていた。

この先生(医師)との出会いがなければ、現在の私の空手道はなかったであろう。先生曰く、「心が疲れている時には、身体も疲れているんです!」
「身体が疲れている時には、心も疲れているんです!」「心と身体は別物ではないんです!」 更には、こうも言われた。
「身体が力むと心も力むんです!」「心が力むと身体も力むんですね~。」

この先生の言葉を機に私は、ウエイトトレーニングを一切止めた。しかし、それには、相当の覚悟と勇気が必要であった。
それは、それまで自分の空手を支えているものの大半がパワー・スピード・持久力といった力学的に「単純な力」であったことに他ならないことを自らがよく知っていたからだ。
自分からパワー・スピード・持久力という「身体能力」を奪ったら何も残らない。そう思うと体力トレーニングを止めることは、まさに一大決心であった。

以来、空手道の本来あるべき姿とは何か。空手道の「技」とは何か、その科学的根拠は何か。
様々なプロアスリート達の「考え方」・「トレーニング方法」をヒントに「技と心」の分析・解明に労をついやした。 そうして辿りついたのが現在の修真会館空手道の「技と心」である。
そして、その「技と心」の根幹になっているものは、私の古巣である国際空手道連盟極真會館芦原道場、新国際空手道連盟芦原會館で修行させて頂いたことによることが大きい。

修真会館空手道と他のフルコンタクト空手と何処が違うのかということであるが、最も明確に違うことは、相手の「力」に逆らわず相手のステップワークを自らに有利にする「技」。
相手のステップワーク、攻撃を有利に「崩しながら倒す技」を最も重視していることである。
攻撃は、一瞬のカウンターで決まる。

突き詰めると身を守る為の実戦に特化した「技」を修練し体得するものである。 また、その過程において人格を鍛え育む「人の道」の場である。
完全なる反則技、危険な「技」をも安全に誰にでも修得可能な稽古スケジュールも確立している。

しかし、上記で述べたことは、先ず持って一般的なフルコンタクトルールに於いてのスパーリングがハイレベルに身についていることが前提である。
ルールのあるスパーリングがろくに出来ない人は、何も身につくものではないことを肝に銘じておくべきである。

1. 受け流しからのカウンターアタック(初めの型)
2. 崩しながらのカウンターアタック(崩しの型)
3. 実戦でのカウンターアタック(実戦の型)

いわゆる攻防一体の反撃技を研鑽するものである。

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修真會館空手道と実戦

強い格闘家はいくらでもいる。
又、自分の体格・体力に勝る者を制圧・倒すことはそう簡単なことではない。
しかし人は、神でもなければバケ者でもない。
必要以上に恐れることもない。
どんなに強い格闘家にも人である以上、必ず弱点は存在する。
一対一に有利な格闘技・対多人数に有利な格闘技・強靭な衣類を着用している相手に対して有利な格闘技・衣類を着用していない相手に有利な格闘技、グローブを着用している相手に 有利な格闘技等、様々な状況に於いて有利・不利も存在する。
強い格闘家は「優れた技術」「優れた精神力」を「格闘技術」という枠の中で、科学的根拠の基に「心身の運用」を有効活用することに長けているにすぎない。
人間である以上、人の運動生理学上の限界値を超える人など存在しない。
様々な プロアスリートは、その限界値に限りなく近い部分で競技能力を競い合っているのである。プロ格闘家とアマチュア格闘家・武術家では、人の運動生理学上の限界値を超える部分において雲泥の差がある。
そうであるならばアマチュア格闘家・武術家は、遭遇すると予想される様々な状況に於いて、格闘技術を組み立てている要素の有効性とリスクを科学的に分析し格闘上のリスクを最大限排除すると同時に有効性を最大限高めていくことが不可欠である。

空手道の上達段階に於いて、突き・蹴り・受け等のコンビネーショントレーニングや ミットトレーニング・一般的 フルコンタクトスパーリングは、重要な要素を多くもっている。 ミットトレーニング一つ取り上げても、その稽古法は様々である。
ただ単に「蹴る」「叩く」だけではなく稽古の時期と目的に応じてミットを有効に活用する工夫がなされていることが大切である。
突き・蹴りのコンビネーショントレーニングや スパーリングに関しても同様である。
事実、修真會館空手道の稽古に於いてもそれ相応の時間を割いてる。
これらのトレーニング方法の向上が一瞬の反撃技術の上達を培い「攻防一体の反撃技術」に「鋭さ」を育む基礎となる。
しかし、打撃技術のコンビネーションだけでは、実戦、いわゆる護身では通用しない。
又、相手を即、掴みに行ったり、手を伸ばせば脚を伸ばせば顔面や股間にパンチ・キックが ヒットする所に無防備に身を置いたり、構えたりすることは論外である。
更に、いきなり顔面を叩きに行くことは自殺行為である。

確かに、人間にとって顔面は大きな身体弱点の一つであるが顔面を叩く、蹴ることを意識しすぎると肝心なことを忘れてしまう。
空手道の「技」はもっと繊細なものである。
その繊細な「技」の集合体が大きな「破壊力」を生むのである。
「柔よく剛を制す」とは、ただの迷信ではない。

科学的根拠に基づいた概念であることを50年以上の空手道修業に於いて確信する。
簡単な例が、相手の胸ぐらを精一杯の力で掴めば、相手も精一杯の力で掴み返してくる。相手が力を入れて手を握った時、自らの手の力を脱力すれば相手も自然と力を抜くものだ。
その一瞬の隙を有利に反撃技に繋げる技のオペレーションを身に着けることは、そう容易なことではない。しかし、コツコツと稽古を積みあげていくことで必ず身に着けることは可能 だと確信している。

反撃技術に於いて最も大切なことは、実戦に於いては先ず相手の1攻撃目は身体の全運動神経を行使して避けなければならない。
相手の攻撃手法やその力量を図る為でもあるが、自ら先に攻撃を仕掛ければ避難できる場所・余裕がある限り正義も大義名分成立しない。
幾度となく制止を促しても攻撃を継続する者、対多人数で避難できる余裕がない、凶器保持者等に於いて自分や攻撃を受けている人が切迫した状況下に置かれている場合は、法律上刑法36条・37条に定められる正当防衛・緊急避難が成立するであろう。
それ以外はただのケンカであり、互いに暴行罪である。怪我でもすれば傷害罪である。

” 努力を諦めない人が現れた時、道は拓ける ”