認知・状況判断能力の重要性とその高め方
(Importance and hagh recognition, situation judgement)

 空手道に限ったことではないが、他のスポーツも同様「認知・状況判断能力」を向上させる
ことは、大変重要な運動要素である。
 この認知・状況判断能力を向上させることは、その延長上にある「瞬間の場面」での最も有効な技( technique )の選択能力を高めることに連携するからである。
いくら数多くの技(technique)を稽古したとしてもそれらを「どの場面でどう行使するか」という技(technique)の選択を瞬時に求められる。
技(technique)と技(technique)を選択する認知・状況判断能力を同時に高めていかなければ、技を修得したとは言えないし実戦では通用しない。

 この技の選択能力及び、認知・状況判断能力は言葉だけでの指導では向上させることはできない。それらを高めていくには、技(technique)自体の修得と「認知・状況判断能力」を共に高めるきめ細かな lesson program を基に、その直々で今、稽古しなければならないことは何なのか、、を常に収査・吟味し稽古内容を決定していくことが指導者には求められる。
決してその場の思いつきでその日の稽古内容を決定していく指導法では、技の修得は愚か「認知・状況判断能力」を向上させることはできない。

 さて、「技の選択能力」と「認知・状況判断能力」の関係について運動生理学的見地から述べてみたい。
先ず人の注意能力には限界があるということである。人の注意能力を調べるのに「フッカー値の変動」というものがある。
「フッカー値」とは、簡潔に述べると人の心理的・生理的、疲労度の測定値のことである。光を遮光板の回転により明減させ、回転速度を上げていく、その時「ちらつき」が見えるか見えないかの境目に於ける毎秒回転数を測定し、人の心理的・生理的疲労の度合いを数値化したものである。

 この「フッカー値」は環境的要因・心理的要因によって常に不安定性と衝動性を示す。
脳の高緊張を継続する時間に比例し、脳の高緊張の継続時間が長ければ長いほど極度に人の認知・状況判断能力は低下する。中でも短期記憶値は大きく低下する。
例を上げると、脳の疲労が蓄積していると1001を発声するのに約1秒を必要とする。200002を発声するのに約2秒を必要とする。30000003を発声するのに約4秒を必要とする。これは「フッカー値」検査の結果である。更に互いが動いている物を認知し識別する能力は、有効視野で20°、中心視野では2°となる。有効視野とは、2~3つのことを識別することができる認知能力のことであり、中心視野とは、1点を識別することのできる認知能力のことである。
 つまり、二人以上の人が同時に動くようなスポーツに於いては、互いに動いている時には20°の視野範囲内の物しか見えておらず、1点に集中した時は、僅か2°の視野範囲内でしか認知・識別することはできないということである。

 もう一つ重要なことがある。それは、人の「生存競争・弱肉強食の本能」である。地球に人
類が発生した時期から「生存競争・弱肉強食の本能」は人ゲノム・DNA 約31億の中にしっかりと今でも受け継がれている。この「生存競争・弱肉強食の本能」は、人の「先急ぎの心理」として現れている。「先急ぎの心理」が実は、「人の認知・状況判断能力」の妨げになっているのである。「先急ぎの心理」の強さを計測する「Gセンサー」を用いた人の認知・状況判断能力の検査結果によると、「先急ぎの心理」が強くなればなるほど、強くなる分だけ「認知・状況判断能力」は低下することが知られている。

 これらのことは、空手道に於いて言えば「技を行使する timing 」「技を選択する状況判断能力」にそのまま当てはまる。
私は、道場で指導する時「打ち急いだらダメだよ、、」「蹴り急いだらダメだよ、、、」と常々言葉にする。「打ち急ぐ」「蹴り急ぐ」と身体全体のバネを上手く利用できないだけでなく、下半身が伸びきり balance を崩した punch・kick になり有効な打撃に繋がらない。
空手以外のスポーツで言えば、野球のピッチャーにもバッターにも同じことが言える。
ピッチャーで言えば、焦って投げ急ぐと投球の rhythm が崩れる。すると思ったようにボールをコントロールできなくなる。更には、身体全体が力み腕力で投げる為、身体の切れが悪くなると同時に、ボールに切れがなくなる。バッターにとっても同じことである。
打ち急ぐと投手の投げる球の変化や speed に翻弄されバッティング form が崩れクリーンhit出来なくなる。特に、スローボールや変化球はボールをしっかり引き付けてバットを振らなければ hit させることはできない。

 最後にまとめておこう。「技を行使するtiming」「有効な技を選択する状況判断能力」を技(technique)の修得と同時に高めていく努力が必要であるし、その努力を支える lesson program が決してその日の思いつきであってはならないということである。

 余談であるが、良く年配の方々が遣う言葉に「今の若い者は、、、」という言葉がある。
このような遣い廻しは、ずっと以前から代々と遣われて来た言葉である。
今、始まったことではない。「今の若い者は、、、」いつの時代も遣われ続けられているものである。私は「今の若い人」も「昔の若い人」もある程度は、時代背景・環境によって程度の差こそあれ根本的には、人の心理的発達段階に基づいたところではそう変わらないと思って思っている。
事実、道場で大学生・高校生・20代の方と接して「どの人も素晴らしい」ものを持っているし、文武両道の努力家だな~と感心する場面が多い。
 現在、学校現場では「いじめ」の問題が社会的に大きな問題となっている。「いじめ」は、学校現場だけに限ったことではないであろう。
大人社会の中にも常々存在するものである。人が集団の中で生活する以上、いつの時代にも存在するであろう。
もし「いじめ」を学校現場から姿を消すことができるならば、唐の昔に学校現場から「いじめ」はなくなっているであろう。
又、先生の体罰にしろ「時間」という物理的壁に制約されながら成果を上げなければならない
という矛盾したところに根本的な問題があると思う。