夢がもつ2つの罠

「私には、特に夢はありません」という言葉からは、なんだか冷めたつまらない人間のような印象を持たれがちですが、私は無理やり夢を持とうと焦る必要はないと考えています。「夢を持つべき」という社会的な圧力に屈することには2つの「ワナ」があるからです

無理やり夢を持とうと焦る必要はない。

「私には、特に夢はありません」という言葉からは、なんだか冷めたつまらない人間のような印象を持たれがちです。子どもの頃は誰でも、「将来は何になりたいの?」などと、夢を持つことを期待(強制?)され、大人になっても、その傾向は続いている印象です。もちろん、揺るぎない夢があるなら、そのほうがいい。迷いなく邁進できるパワーとなるからです。

ただ私は、夢がないのに無理やり夢を持とうと焦る必要はないと考えています。「夢を持つべき」という社会的な圧力に屈し、ムリに夢を作ることには2つの「ワナ」があるからです。

夢は新たなスタートに過ぎないという罠

まず、夢とは本質的には「目標」に近いものですから、次のステージの始まりに過ぎません。それを知っていないと、志望校に合格した学生が、達成感で燃え尽きてしまうことがあるように、夢を達成した瞬間、それ以上前に進む力が失せてしまう危険性があるからです。いわゆるバーンアウト(燃え尽き症候群)というものです。

たとえばイチロー選手の小学校時代の夢は「プロ野球選手になること」だったそうですが、ご存知の通り、プロになって終わりではありません。彼の偉業の数々は、プロになってからも厳しいレーニングを続けて達成されたものです。「メジャーリーグに行く」という新たな夢を持ったとしても、それもまた新たな出発点に過ぎないのです。

「起業して上場する」が夢だったしても、上場すればマーケットからの評価を受け、株主のために株価を維持向上昇させなければなりませんから、やはり1つの通過点です。試験に合格する、転職する、独立起業する、年収1億円を突破する。それらはすべて最終目標としての夢ではなく、むしろ手段であったり新たなスタートです。

つまり、夢とは「達成すれば終わり」という類のものではなく、新しいスタートに過ぎないということです。

他の選択肢が見えなくなる罠

もう1つの罠は、夢に縛られるあまり、他の選択肢が見えなくなり、貴重なチャンスを逃すことがある点。あるいは夢を達成するプロセスが苦難で塗り固められても、無理にガマンしてしまうことがある点です。

たとえばこんな話を聞いたことがあります。

司法試験を目指して受験勉強をしている時、友人から「お前は商才があるから、絶対にビジネスに向いているよ。一緒に起業しよう」と声をかけられた。でも受験勉強のほうが優先だから、その話は断ったのです。

数年後、司法試験には合格したものの、環境が変わって弁護士が余り、就職できる法律事務所がない。やっと就職したが年収は500万円程度。勉強に専念するため、交友もすべて断ってきたから、女性とうまく付き合えず、なかなか結婚できない。一方で友人たちが立ち上げた会社は上場し、株式を持っていた創業メンバーは億万長者になって悠々リタイア。みな結婚して家庭を持っている……。

私も又聞きなので実話かどうかはわかりません。それに、これも途中経過に過ぎず、人生はあとからいつでも変わりますから、何が良かったか悪かったかは一概には言えません。また、会社の上場や年収や家庭を持つことが絶対的価値というわけでもありません。

しかし、「職業的な夢」の実現にこだわるあまり、本当は夢の実現よりも優先したかったライフイベントすら犠牲になるとしたら? キャリアや自己実現を目指して邁進し、気がついたら適齢期を過ぎ、子どもが欲しくても持てない年齢になっていたとしたら?

もちろん人にはそれぞれ、その時点において優先順位がありますから、それが良い悪いということではありません。夢に固執するあまり、自分の転機や、他人が見出してくれた自分や他の才能を見過ごす余裕を失わないようにしなければならないということです。

もちろん、夢があれば自分のやるべきことが明確になり、日々が充実するのも確かです。しかし、やりたいと思ったことをその瞬間にやることができる心のキャパシティを持っておける、おかしいなと思った時に柔軟に軌道修正ができる、というのもまた自由な生き方のように思います。

夢がなくても軸を持つ。自分はどうやって価値を出すのか?

ここで注意したいのは、「夢を持つことが悪い」ということでも、「夢はないほうがいい」ということでもありません。世間の価値観に迎合し、無理やりひねり出そうとする必要はないということです。

仮に現時点で夢はなくても、私は「生き方の軸」はぜひ持っておきたいと考えています。軸というのは、「自分の価値の出し方」です。自分は何をして世の中に貢献するのか。自分の生きた証しとして、何を後世に残すのか。そんな自分の存在意義を持っておくことは、目標の変化・時代環境の変化にも柔軟に対応しつつ、発想や行動がブレない根拠となると考えているからです。

たとえば私の場合、「自分がやってみて良いと思ったことを発信して価値を出す」という軸を持っています。

たとえば、「本を出す」とか「講演家になる」とか「投資家になる」というのが夢だったとしたらどうでしょう。1冊出して終わり? 年に数回講演して終わり? 投資商品を売買して終わり? そんなのただの自己満足ですし、私にはつまらないと感じます。

空手道修業はただの手段。「空手道を通じて、どんな価値を世の中に提供するのか?」のほうが大切だということです。

ただし、自分1人ではなく、他人を巻き込む必要がある場合は「こうやって世の中を良くしたい」という夢やビジョンを語る必要があります。なぜなら、具体的な方向性を示さなければ、価値観や考え方がバラバラな人たちを同じベクトルに向かわせることができないからです。

そこで、周囲の協力が必要な場合、みなで動く必要がある場合は、「ここを目指そう」と道を指し示すことが大切です。ただし、これこそ、夢を持っている人の行動に他ならないのです。