修真會館空手道への道のり

館長

私は、30代後半までは、身体能力の高さ、主に power ・ endurance (持久力)・ speed を最も重視していた。
「 力は、力でねじ伏せる 」・ 「speed は、 speed でねじ伏せる」 当に 、「 剛 」 の空手 style であった。
身長172cm・体重85㎏ で、ベンチプレス155㎏・フルスクワットで、230㎏を挙げる power と30minutes の full sparring を持続する持久力を持っていた。

高い level で power・endurance・speed を得ることも「技の一つ」なのは、間違いではない。
事実、どの sports の athlete でも高い身体能力を持ってるし、科学的根拠がそれを裏付けている。
しかし、power・endurance・speed という身体能力は、年齢と共に必ず限界を迎える。
更には、どんなに科学的 training を継続したとしても、身体への歪・障害が生じて来るものである。

私は、42歳の頃、仕事の多忙さと、職責の pressure から過労で倒れたことがある。
救命医から、慢性疲労症候群(過労)との診断を受けた。
「運が良かったですね!」 過労で、命を失う人もいらっしゃいますから、、ほどほどに仕事をしないといけません よ、、と言われたものだ。
そして、約9カ月の入院生活を強いられた。

この入院生活を機に私は、体力 training を一切止めた。
「心が疲れている時には、身体も疲れている」 「身体が疲れている時には、心も疲れている」 「心と身体は、別物ではないんですよ!」 そう医師に告げられたか らであった。
しかし、それには、相当の覚悟と勇気が必要であった。
それは、自分の空手を支えているものの大半が power・endurance・speed といった力学的に、単純な 「力」 であったことに他ならないことを自らが、よく知ってい たからだ。
自分から power・endurance・speed という 「身体能力」 を奪ったら何も残らない、、。そう思うと、体力 training を止めることは、当に一大決心であっ た。

以来、20年余り、空手道の 「技」 とは何か、その科学的根拠は何か、、様々な pro athlete 達の 「考え方」、「training method 」 を hint に「技と心」 の分析・解明を継続した。
その対象とした pro athlete 達は、主に、野球・サッカー等の球技選手である。
それには、それなりの理由があった。
個々の技能能力の level の高さに加え、戦う相手 team によっ て、 「 戦法 」( Tactics ) を巧みに変化させる 「 対応能力 」 ( Ability to respond ) を high-level に合わせ持っていること。
更には、その「 戦法 」 を巧みに変化させるという柱になっている本質 は、team の個々の選手が有する技術 、Balance を 「崩す」 ことによって、team 全体の攻撃 rhythm に unbalance 性を生じさせるという点に於いて、「心理学的・運動力学的 」に最先端にあるからであった。
そうして辿りついたのが、現在の修真會館空手道の 「技と心」 である。

身を守る技に特化した空手道、即ち真の実戦空手道

修真會館空手道の基本的動作は、端的に述べると、自分と相手との「 間合」(「間合」には、物理的間合(stance)と心理的間合(reach of mind )が存在する) short・middle・long の制空圏に於い て、相手の攻撃の vector (ベクトル)の 作用・反作用の法則を柱にしたものである 。
先ず、相手の攻撃の力と向き(vector)に逆らわず、受け流すこと。
相手の攻撃の vector を吸収し、 impact zone を control する。
そして、相手の攻撃時の重心( center of gravity )を崩し続けること。
更には、相手の balance の崩れに逆らわず、投げに繋げる。

1.受け流しながらの counter attack method(初の型)
2.崩しながらの counter attack method(崩しの型)
3.投げながらの counter attack method(球転の型)

いわゆる攻防一体の反撃技 ( counter attack method )を研鑽するところにある。

修真會館空手道と実戦力

強い格闘家は、いくらでもいる。
又、自分の体格・体力に勝る者を制圧・倒すことは、そう簡単なことではない。
しかし、人は神でもなければ、バケ者でもない。
必要以上に恐れることもない。
どんなに強い格闘家にも人である以上、必ず弱点は存在する。
一対一に有利な格闘技、対多人数に有利な格闘技、強靭な衣類を着用している相手に対して有利な格闘技、衣類を着用していない相手に有利な格闘技等、様々な状況に於いて有利、不利も存在する。
強い格闘家は、「優れた技術」・「優れた精神力」を「格闘技術」という枠の中で、科学的根拠の基に「心身の運用」を有効活用することに、長けているにすぎない。
人間である以上、人の運動生理学上の限界値を超える人など存在しない。
様々な pro athlete は、その限界値に限りなく近い部分で、競技能力を競い合っているのである。
そうであるならば、遭遇すると予想される様々な状況に於いて、格闘技術を組み立てている要素の有効性と、 risk を科学的に分析し、格闘上の risk を最大限排除すると同時に、有 効性を最大限、高めていくことが不可欠である。

空手道の上達段階に於いて、突き・蹴り・受け等の combination training や mitt training・一般的 full contact sparring は、重要な要素を多く持っている。
mitt training 一つ取り上げても、その lesson method は様々である。
ただ単に、「蹴る」、「叩く」 だけではなく、 lesson の時期と目的に応じて mitt を有効に活用する工夫がなされていることが大切である。
突き・蹴り・受け等の combination training や sparring に関しても同様である。
事実、修真會館空手道の稽古に於いても、それ相応の時間を割いてる。
これらの training method の向上が、一瞬の反撃技術の上達を培い「攻防一体の反撃技術」に「鋭さ」を育む基礎となる。
しかし、打撃技術の combination だけでは、実戦(combat)いわゆる護身では、通用しない。

又、相手を即、掴みに行ったり、手を伸ばせば脚を伸ばせば、顔面や股間に punch・kick が hit する所に、無防備に身を置いたり、構えたりすることは、論外である。
更に、いきなり顔面を叩きに行くことは、自殺行為である。( 顔面をいきなり叩きに向かう時、そこには、大きな risk が多く存在する )
確かに、人間にとって顔面は、大きな身体弱点の一つであるが、顔面を叩く、蹴ることを意識しすぎると肝心なことを忘れてしまう。
空手道の「技」は、もっと繊細なものである。
その「繊細な技」の集合体が、大きな「破壊力」を生むのである。

反撃技術に於いて、最も大切なことは、相手の身体 balance (center gravity)をいかに速く、正確に崩すか、というところにある。
相手の side・back position に素早く身を置き、相手に最も最短・最速で damage を与えられる身体部位を効率よく、鋭く攻めることである。
「 常に、相手の正中線を制する空手」 これこそが、修真會館空手道の真髄である。
実戦 ( combat )・straight fight と競技では、様々な点で異なる要素が多く存在する。
相手の心理的状態・相手の体格・対多人数・凶器所持・攻撃手法等、あらゆる場面で「相手の心理と力量」を即座に察して、最も適切な対処法を選択し、反撃しなければならない。
中でも、相手が極度の錯乱状態での凶器所持は、危険極まりない。
様々な状況下で物怖じせず、冷静な心理状態を自ら control できる精神力が要求される。
それには、想定外の実戦( combat )の場面にも「 柔軟に対処できうる信憑性の高い技術 」を地道に鍛錬する以外に方法はない。
道場の lesson のように十分な stretch を行い、 form up をし、平らな床で動きやすい道着を着用している分ではない。
3回も4回も叩いたり、蹴ったりしなければ、倒すことができないならば、掴みかかられたり、tackle されたりもする。
対多人数なら、尚更のことである。
掴みかかるという行為は、人の最大の防御本能であり、最大の攻撃本能でもある。

実戦に於いては、先ず相手の1攻撃目は、身体の全運動神経を行使して避けなければならない。
相手の攻撃手法やその力量を図る為でもあるが、自ら先に攻撃を仕掛ければ、避難できる場所・余裕がある限り、正義も大義名分成立しない。
幾度となく、制止を促しても攻撃を継続する者、対多人数で避難できる余裕がない、凶器保持者等に於いて、自分や攻撃を受けている人が、切迫した状況下に置かれている場合は、法律上の刑法36条・37条に定められる正当防衛・緊急避難が成立するであろう。
それ以外は、ただのケンカであり、互いに暴行罪である。怪我でもすれば、傷害罪である。

’’ 努力を諦めない人が現れた時、道は拓ける ,,

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